創生・新しい日本

政治、経済、文化、社会・・・これからの日本を担う世代の提言Blog

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官製IT・ネット戦略の的外れ

"国産検索エンジン"に続く、新たな官製プロジェクトの始動である。

経済産業省は、ヤフーや楽天、三越、佐川急便から果てはグーグルまで巻き込んで「日本のインターネット通販をアジア各国で利用しやすくする仕組み」作りに動き出した。簡単に言ってしまえば、アジアに住む人間が楽天でショッピングをできるようにしようということだろう。

率直に言って、私は経産省の意図がよくわからない。
BtoCのEコマースのプラットフォームなりシステムをアジア各国に供与しようというのであれば理解は容易いが、同じBtoCでもアジアの人間が日本のEコマースサイトで買い物をしても仕方がない。ライフスタイルも趣味も何もかも違うからである。
はっきり言って、これはまともな商売にはならないだろう。下手をすれば、悪評高い国産グーグル、京速計算機に続く税金浪費プロジェクトになりかねない。

日本のEコマースサイトは、大規模な販売事業者が商品を一手に引き受けるアマゾンのような業態でなく、小規模な事業者が寄り集まってショッピングモールのようなサイトを形成する楽天型が目立つ。その要因として、例えば決済においては"元締め"である楽天のような事業者がクレジットカード決済などのシステムを提供し、加えて代金引換という日本独自のサービスがあり、小規模事業者の負担は少ないことがある。それ以外にもポイントサービスやその他販促キャンペーンを一体的に提供できるプラットフォームまでも"元締め"が持つ(事業者の負担は事実上商品の発送のみ)。結果、小が集合して大を成す「スイミー型」Eコマースが成立しやすいのだ。

が、これが海外に対する商売となると話が違う。
発送だけでも事業者ごとの負担が増すだけでなく、価格設定を含めたマーケティング全体の再考が必要となるからだ。関税その他のコストを勘案しても、国内向けの価格・サポートのまま海外向けにBtoCのEコマースを展開するのは不可能に近い。
経産省は決済と商品引き渡しで工夫をする(現地の銀行や百貨店を活用して現金決済をしやすくするなど)と言うが、それ以前に根本的な問題があるのだ。

BtoBで製造業同士の国際連携を容易にするなどのあり方は十分考えうる。が、日本のネット通販をアジアの人々にも使ってもらいましょう、などというお節介発想はあまりにも非現実的である。中国のEコマース市場規模が日本の20分の1だからと言って、日本向けのEコマースサイトを使わせればよいということにはまずならない。
海外向けに商売をするならば、それに向けた専用のサイトなりプラットフォームを新たに作っていく他ない。ヤフー(ソフトバンクグループ)や楽天はそれぞれ現地で独自戦略を展開しており、こうしたことを理解しているはずだ。そのうえで監督官庁の研究会には"お付き合い"で参加しているに過ぎないだろう。当の行政がそれに気づくのは、いつになるだろうか。 (Y・K)


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(2006/02)
宮脇 睦

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タクシー業界の自縄自縛

最近、全国のタクシーで値上げの動きが相次いでいる。
全国的傾向であるのであえて特定の地域について詳しく述べることはしないが、この状況を受けて先日国土交通省が打ち出した措置には驚いた。

同省は、全国で特に過当競争ぶりの目立つ7都市について、台数増に規制を設けるなどの制限措置を打ち出したのだ。この一環で、仙台では来年の8月まで新規参入が全面的に禁止されるという(試験的措置のため延長の可能性も)。

値上げの直接的理由は、原油高に加え「規制緩和による競争の激化でコストが吸収しきれなくなった」(業界団体曰く)ことだ。
実際、大都市では規制緩和に伴い「500円ワンコインタクシー」などの魅力的なサービスを打ち出す新規参入者が目立つ。これ自体は利用者利益に適うものであり歓迎すべきなのだが、上記のような環境下で運転手の労働環境が悪化し(長時間労働の常態化と賃金の低下など)、一部都市ではタクシーによる交通事故率が明らかに高くなったなどの問題もある。

こうした状況について監督官庁である国交省が何らかの手を打たなければならないのは言うまでもない。
が、それ以前に事業者(業界団体)自体の自助努力、負担の対利用者転嫁回避の努力が不足していることを指摘しなければならないのも事実だ。

タクシー業界の規制緩和を含む一連の規制改革は、その殆ど全てが利用者利益を志向したものである。
タクシー業界においても運賃の低下とサービスの多様化で利用者の選択の余地が広がり、利用者利益は明らかに向上したと言える。
更には、新規参入の実現により業界全体で雇用が拡大し、失業者の減少にも一役買っている。
これらは、事業者間の自由競争によって発生するものであり、規制なき業界ではごく常識的に機能している正常なメカニズムだ。

その点、タクシー業界がこれまで雁字搦めの規制に守られ、その中で事業者が事実上無競争でぬくぬくと飯を食ってきたこと、更にはそれにより不特定多数の利用者に算出不可能なほどの潜在的不利益を与えていたことがおかしいのである。
更に言えば、タクシー業界の規制緩和は何も急に決まって急に実行されたわけではない。
ついては、今後競争に晒されることが明らかになった時点で、各事業者が競争に打ち勝つだけのサービス・運賃戦略を考えるべきだったのだ。
にも関わらず、業界団体は殆どが正に護送船団の如く一律横並びの運賃を維持し、後発の新規参入者によって食い荒らされる結果となった。これは怠慢による必然と言える。

既存のタクシー事業者に飢えて死ねというのは全く良くないが、まずは業界団体自身が自己反省するのが第一だろう。現状では自らの苦境の原因を他に求める姿勢が目立ち、とても利用者の理解を得られる状況にはない。
規制改革の逆を行く今回の国交省の措置も、一時的なものであるとはいえ冷ややかに見るべきだ。

今後の対策としては、①行政主導で事業者間再編を促し、個々の事業者の経営体力を増すこと ②需要に対して過剰な供給を削減するため、タクシー業界から他業界への人的移動を促すこと(事業者の異業種参入を補助等) ③事業者自身の新規ニーズ開拓努力(介護など)と、それを促進するためのより一層の規制緩和、の3点が主に挙げられよう。

タクシーは"流し"で乗ることが多いから競争原理が働かない、というのは嘘である。地方でも介護やその他のニーズを捕まえ、"流し"に頼らない収益源を得ている事業者はある。そのニーズを見つけ、開発するのは事業者自身の仕事だ。
他業種では当たり前にやっていることである。

従来のような過剰な規制が不健全な業界体質(経営努力の消滅、利用者からの搾取)を生むことは明らかだ。逆戻りしてはならない。 (Y・K)


タクシードライバーほど面白い商売はないタクシードライバーほど面白い商売はない
(2003/08)
中嶋 浩

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反社会的な行政処分乱発

NOVAが破綻したが、猿橋氏が散々引き伸ばしたがために負債が膨れ上がっているようだ。
が、今回の件に関して言えば、私は行政(NOVAについては経済産業省)が全面的に悪いと考える。

このところの行政処分の乱発ぶりは異常だ。
フルキャスト(経済産業省)やウェザーニューズ(気象庁)など、明らかに不当な処分も散見される。
その流れのなかで起きたのが今回のNOVAの事態だ。
NOVAへの処分理由自体は不当ではないが、その過料があまりにも大きすぎる。 受講料補助を取り消せば受講生が一気に離れることは読みきれたはずだが、それに対して行政としてとるべき対応を怠ったことは許されざる愚行だ。

処分を出すのはいいが、その後の対応を全て処分対象企業に丸投げするのが果たして妥当と言えるのか。一罰百戒とばかりに最大手企業に過剰なまでに厳しい処分を下すことが"流行って"いるが、コムスンにしろNOVAにしろ馬鹿を見るのは処分企業自体よりも職員や客だという当然の帰結に、毎度のことながら呆れてしまう。


NOVAの話題に隠れているが、今日はみずほ証券も金融庁に処分された。
こちらは顧客情報の扱いに関するもので一見正当なものだが、先進諸国には少ない「銀証分離」規制への抵触という点で行政側の不手際が遠因に見える。

金融市場の規制改革(もちろん緩和)については、東京市場の競争力強化を主眼において「銀証分離」規制の撤廃をはじめとした諸政策の実行が検討されている。「銀証分離」の撤廃は国内金融グループの競争力強化のために必要不可欠、という認識は業界に留まらず行政レベルでも広く共有されているはずだ。であれば、行政がよりスピーディに、かつ主導的立場で規制改革を推進するべきではないのか。

国内金融に対して、なくてもよい網にかかった魚をモリで突くようなやり口で対応するのが果たして国益に適うものかどうか、証券取引等監視委員会と金融庁はよく考えるべきだ。

日本の金融市場の弱体化は、円の主軸通貨からの脱落という事態が雄弁に物語っている。
GDPで日本に遠く及ばないイギリスポンドがなぜ円よりもプレゼンスを発揮するのか。それはイギリスが勇気を持って規制緩和を行った結果、ロンドンが国際金融センターとしての地位を向上させたからではないか。
このところの"経済動乱"で既に円キャリートレードは一旦完全に終息したが、それでも「万年円安」状態から抜け出せないのはなぜか。単純に「低金利だから」という理由で片付けられる問題ではないだろう。慢性的な円安は、一時は輸出企業に有利であっても、確実に日本人の所得さらには経済水準に悪影響を及ぼす。

金融庁には、日本橋に擬似カナリーウォーフを作るよりも先にやるべきことがある。
そして他の役所も、無用な規制をタテに民業を潰すよりも先にやるべきことがあろう。


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経済的自由への憧憬

シンガポールで政府批判をした野党トップが逮捕されたという。
政府はミャンマー軍政との経済関係の深さを指弾されることに神経を尖らせているようだ。

改めて考えさせられるのは、開発独裁のモデルケースであるシンガポールの言論統制の凄まじさだ。
読売新聞では「国内での政府批判は絶対に許さない」と指摘されていたが、一方でチャンネルニュースアジア(CNA)などの国際報道機関も同国に拠を構える。

経済発展のために重要なのは、言論の自由ではなく単に経済的自由のみだということなのだろうか。

ちなみに、私はリー・クアンユーを尊敬している。
国家の発展過程においては、ある段階で開発独裁の政治体制が必要になる場合がある。
シンガポールは、その開発独裁で成功したモデルケースだ。

リー・クアンユーは、マレーシアから分離独立した小国シンガポールが生き残るためには経済発展が欠かせないことをよく理解していた。
しかも、面積も小さいから資源なり工業ベースで経済発展を実現することが難しいことも悟っていた。

結果として選んだのが、シンガポールを「世界のヒト・モノ・カネの集散するハブ」にするという戦略だった。
人流・物流では港湾整備と関税撤廃を組み合わせ、金融では徹底した自由化・規制緩和を導入。その結果、シンガポール航空やテマセク・ホールディングス(政府系投資機関)をはじめとする国際的な勝ち組企業を擁するに至った。

私は、今後の日本の歩むべき方向性をこの国に見出している。
国土が狭く、資源に頼った成長も望めない日本では、北東アジアのハブとしての徹底した人流・物流・金融の規制緩和が必要だ、というのが私の信念である。

「ものづくり日本」という幻想も、早く捨て去るべきだ。
技術は、その活用において発生するコストが一定以下になれば一気に労働力の安い国に流れ去っていく。
その前提に立って言えば、日本の製造業は常にリードタイム技術を持っていなければならないはずだ。
が、今や日本が確固たるそれを有している産業は非常に少ない。
それは、「ものづくり」のなかにおいて言えることである。

リードタイム技術を活かした経営で世界的に名高いあのインテルでさえ、30年それを維持するのに大変苦労している。
そのインテルより優れた経営機構なり技術的バックボーンなりを持っている日本企業が1社でも日本にあるだろうか。
要するに、日本の製造業は既に競争力の源泉をほぼ完全に失っているのだ。

それ以前に、製造業は第二次産業である。
産業発展は、第一次の農業・水産業等から第二次の製造業へ波及し、更に第三次のサービス業、情報産業へと波及していくものとされている。
今、先進国経済においてはこの第三次産業へのパラダイムシフトが起こっているというのが妥当な現状認識ではないだろうか。
にも関わらず、日本人はどこか第三次産業を小馬鹿にしているような風体がある。

その例のひとつが、少し前に流行った「虚業」論議である。
発展著しい情報産業、IT産業は全て「虚業」で、製造業こそが「実業」であるという主張がマスコミを通じて流布されたのは記憶に新しいところだ。
そもそも私は、この職業に貴賎をつけているかのような主張が気に入らないのだが、それ以前の問題として感情論で企業経済のあり方を議論する風潮に何より危機感を感じた。

ものづくりこそが実業で、サービス業は虚業だというのであれば商売人は本当に卑しい職業人ということになる。そして金貸しはもっと卑しい守銭奴ということになる。
こんな江戸時代の先祖も驚くような感情論を未だに得意顔でぶっている人間は、まずもってそのセンスを疑われなければならない。

例えば、電線を作っている業者は「実業」者で、NTTやKDDIは「虚業」者なのか。言うまでもなく、両者はいずれも「実業」であり、目に見えるニーズに対応した立派な商売として成立しているのだ。
虚業が本当に「虚業」なのであれば、それは実業との相互補完はしないことになるのだろうが、上の例えからも一般論からもそのようなことはあり得ない。

つまりは、我々は一刻も早く以上に述べたような妄想的思想から脱却し、第三次産業シフトの態勢を敷かねばならない、というのが私の考えである。
ものづくりは実業だ、などという気休めに現を抜かしていると、それこそ「兎と亀」の逸話の再現になりかねない。

こうして考えてみれば、言論の自由というものは真に国民が経済的な困窮におかれているときにこそ求められるものだと言えるかもしれない。
ある水準以上に経済的な余裕があれば、国民は政治への関心を失い、一方で愚民が幅を利かせる。
結果としてその国は経済をはじめとした長い迷走時代へと突入し、再び国民が困窮するまでリバイバルのチャンスは与えられない。

こうしたシナリオに説得力がないとは言えない。
今の日本の状況を見れば尚のこと、明らかである。
だから言論の自由を廃せよ、経済成長と公共の福祉こそを最優先せよ、とは言わない。
しかし、言論の自由は金持ちにはもったいない権利であるということも合わせて指摘しておかねばならない。

それがなくとも、あれだけ上手くいっているシンガポールという国もある。 (Y・K)


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(2001/05)
クアンユー リー

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