創生・新しい日本

政治、経済、文化、社会・・・これからの日本を担う世代の提言Blog

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改めて都市からの税収移転に反対する

私は、「地域間格差の是正」の名の下に行われる都市から地方への税収移転論議についていつも思うことがある。
日本は自殺する気か、と。

以前、日本テレビの「バンキシャ!」で都知事選特集を見ていて驚いたことがあった。ある脚本家が、東京五輪計画に反対する理由として「東京に人が集まれば集まるほど地球環境に良くない」と述べていたのだ。そしてその延長で「地域間格差の是正」を訴えていた。
あえて誰とは言わないが、これが世に言う「有識者」の知見なのだろうか。根拠なき風説を流すくらいなら素人は黙っていろと言いたい。その無責任な言動ひとつひとつが日々国民を誤解させ、馬鹿にしているのだ。

この風説に反論するとすれば、まず都市機能は人口の集積により効率化されていくというセオリーを紹介しなければならない。例えば、東京都民の1人あたりCO2排出量は全国で最下位だ。きめ細かい鉄道網を利用する住民が多く、その分マイカー利用が少ないのが最大の要因だろう。この事実を知っていれば、「東京に人が集まると環境に悪い」などとは口が裂けても言えまい(東京の空気と田舎の空気とどちらが綺麗か、という話とは別次元だ。それでも今の東京の空気は都心でも深呼吸できるほど美味い)。
東京一極集中は、危機管理上疑問はあっても経済面、そして環境問題から見ればむしろ促進されるべきものだろう(田舎で悠々とマイカーを乗り回し、二言目には道路を造れというその感覚が日本と地球を滅亡に追いやる。違うだろうか)。

ここで、地方へのバラマキ(最近は"地域間格差の是正"という別称を得た)が如何に愚かで不健全な政策であるかを示すひとつの事例を紹介したい。
それが「一県一空港政策」だ。

政策決定までの経緯は割愛するが、この政策ではその名のとおり全国あまねく空港を整備することが目標とされ、実際多くの地方空港が作られた。一部ではよく知られていることだが、その多くは利用者数予測を下回る実績しか出せなかったうえ赤字を垂れ流し、ツケを住民に負わせている。あるいは、一見うまくはいってもその地域から都市への人口移動を誘発し、地方の産業の空洞化を促す結果になった(俗に言う"ストロー現象"だ。高速道路にはもっと明確にその傾向が現れる)。

だが、この政策の質(たち)の悪いのは、単に地方から経済活力を吸い上げただけでなく、都市のあるべき機能を奪い、あるいは後退させたことだ。
限られた空港整備予算(一説には道路の50分の1とも言われる)のなかで地方空港の整備を優先させれば、当然都市における空港機能の拡充や新規整備は遅れる。それ以外の様々な政策ミスも重なり、首都圏では羽田・成田の棲み分け、関西圏では3空港並立という極めて非効率・非生産的体制が完成してしまった。

こうしたことから言えるのは、現在指摘される「地域間格差」の是正に税収移転や道路整備などのバラマキで対応するのは不毛以上にマイナスの効果しかないということだ。
現在有力なのは東京から3000億円、大阪・愛知などから2000億円弱、計5000億円の税収を召し上げ、地方に配分するという案だそうだが、公債残高が兆以上にまで膨れ上がっている県は多い(何せ宮崎県でさえ1兆円弱だ)。東京から都市機能整備・維持のための貴重な税収を奪うだけでなく、焼け石に水のキャッシュバックキャンペーンをやることに何の意味があるのか。

道路整備についても、10年間で68兆円分の道路整備(道路特定財源)とは何のつもりなのか。地方の要望というが、その要望に従って道路を造ってきた結果地方は都市に人口も金も吸い上げられたのではないか。不要不急のものに使うためにそれほどの財源があるならば、一般財源化するだけで消費税増税は先延ばし出来るだけでなく、法人税減税や証券優遇税制存続も出来るだろう。要らない道路を造る仕事しかない役所なら潰してしまえばどうかとさえ思う(旧運輸省の無策が現在の日本の航空市場の惨状を作ったのだから尚更だ。今の国交省は「無くてもよい」以上に「無いほうがよい」)。

兎にも角にも、「都市は稼ぎすぎだ、地方に分けろ」というのは不毛なやっかみでしかない。そんな発想しかない地方ならば、堂々と切り捨ててしまえばよいのではないか。
今地方が苦しいとすれば、それは身の丈に合わない過剰なインフラを抱えながら東京を追いかけようとしていることに原因がある(だからこれ以上過剰なインフラと借金を作ってはならない)。都市は都市、地方は地方と明確な役割の分担を行い、そのうえで地方自身が採るべき政策を自ら考えるということが重要だ。それによって建設会社が潰れるというのであれば仕方がない。その業界に関わる人々をセーフティネットで掬い上げる以外に対処の方法はないし、産業間の健全な人的流動を促す意味でも前向きに捉えるべきだ。

「地方再生」の真の切り札は、①道州制導入をはじめとする地方分権の推進と②国から地方への税源移転である。帳尻合わせで東京をやり込めるような真似をすれば、日本全土が等しく沈没するであろうことを警告したい。 (Y・K)


(11/29追記)先日の記事を書いた翌日、タイムリーに関連するニュースが飛び込んできたので追記しておいた。日本の空港政策は、真剣に考え直さなければならない段階にある。既に手遅れの感も強いが。


変革するは我にあり―独立分権宣言!変革するは我にあり―独立分権宣言!
(2001/11)
月尾 嘉男

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意志なき日本の漂流

昨日大勢が判明したオーストラリアの総選挙では、与党・保守連合(自由党・国民党)が野党・労働党に大敗するという結果になった。
与党を率いるジョン・ハワード首相が自らの選挙区(シドニー)で落選するなど、11年ぶりの政権交代を強く印象付ける結果が現れた。

野党・労働党を率いるケビン・ラッド新首相の政策は、実際にはハワード政権とそう大差ない。特に経済面において、ハワード政権に失政といえるようなものはなく、選挙戦で両党が掲げた所得税減税案も酷似していた(ラッド氏はミー・トゥー(me too)な人、とさえ言われた)。
にも関わらず、オーストラリア国民が政権交代を選んだ理由については、「イッツ・タイム(It's time)症候群」だと解説する向きがある。つまりは、ハワード政権について失政はなくともそろそろ引き際だと多くの国民が感じていたということだ。

が、こうした漠然とした理由とは別に、もっと明確な両党の対立点があった。
ひとつは地球温暖化に対する政策だ。京都議定書への批准については、ハワード政権が一貫して拒否し続けてきたのとは対照的に、ラッド氏は「総選挙で勝利すれば即時批准する」としてきた。
もうひとつは対米姿勢だ。ハワード政権は同時多発テロ以来一貫してアメリカを支持し、イラクへも派兵してきた。が、ラッド氏と労働党は豪軍のイラクからの撤退を主張している。

つまりは、今回の総選挙で豪国民が行った明確な選択の第一点は地球温暖化問題への前向きな取り組み、そして第二点は"対米追従"からの脱却だと言える。

今回のオーストラリアの政権交代により、主要国ではブッシュ政権を支持した「有志連合」の立役者が全て表舞台から消えたことになる。
スペインのアスナール首相は、やはり"対米追従"批判に負け、サパテロ首相に政権を譲った。これが最初だ。以後、日本の小泉首相、イギリスのブレア首相などが続々と退陣し、同じ与党で政権を引き継いだが日本は周知の通りの現状、イギリスでもブラウン首相が総選挙の延期を表明してから逆風に晒されている。

一方、イラク戦争に反対した主要国の中では政権の権力基盤がより一層強化された例が目立つ。
ロシアではウラジーミル・プーチン大統領が来年大統領としての任期切れを迎えるが、彼が権力を手元に維持し続けるのは既定路線だ。三選禁止規定回避のため首相に就任するとか、任期切れ直前に辞任して大統領選に出れば三選禁止に抵触しないとか、そうした続投前提論はしばしば聞こえてくるが野党は共産党以外議席を得ることさえままならない情勢で、完全に埋没している。
中国でも、先の党大会で胡錦濤国家主席は中南海を"制圧"し、江沢民氏の上海閥の影響力を決定的に削ぐことに成功した。曽慶紅氏の引退はその最たる例だろう。
また、フランスではジャック・シラク大統領が引退し、同じ与党の国民運動連合(UMP)からニコラ・サルコジ氏が新しい大統領に就任した。彼は親米路線に舵を切っているものの、つい先ごろも年金改革で鉄道労組のストに打ち勝つ成果を挙げるなど政権基盤を確実に固めつつある。

こうした動きを概観すれば、国際社会では総じて反米的傾向が強く、濃くなっていると言えよう。大きなトレンドと言ってよいかもしれない。
国内でも、小沢氏と民主党議員の言動は国民の潜在的反米意識に訴えかけるような側面がある。イラク戦争の正統性を疑う空気は当のアメリカでも強いだけに、全世界的なアメリカ離反の動きに従って日本の政局も動いていく可能性は高い。

だが、そうした流れのなかでも指摘しておかなければならないことは、日本が外交・安全保障政策において手元に置くオプションは限られるということだ。
現憲法下において、戦後一貫して日本の安全保障を担ってきたのは他ならぬ米軍である。日米安全保障条約なくして日本の国家安全保障は成立せず、必然的にアメリカ寄りの("対米追従"と評判の悪い)外交が求められる結果となることは言うまでもない。

他国で反米機運が政権交代を巻き起こすのは、有事の際には基本的に自国軍のみで対応出来る安全保障体制と、それに対する国民世論の無意識の信認があるからだろう。そのうえにおいて議会で二大政党制が定着していれば、外交政策においても国民は常識的なオプションをいつでも選べる。
ところが、日本では主体的な安全保障体制は存在せず、現行の米軍を基軸とした安全保障体制にも信認が明確にあるとは言えない。実際、米軍基地は何処でも厄介物扱いであり、事あるごとに住民投票を持ち出す勢力と、その勢力の期待に満額回答を寄越してしまう多数の住民の存在が目に付く。

こうした状況下において、"対米追従"などという言葉を持ち出して反米機運を煽るのは危険だ。
何しろ、日本には他の国家が当たり前のように行使できる「主体的な外交・安保」というオプションがない。また、そうした状況を打開しようというビジョンもないのだから尚更だ。にも関わらず、安易に対米離反のような主張を行って国民の歓心を買おうとするのは(民主党にしろ自民党のリベラル系勢力にせよ)、流動化する国際社会のなかで日本だけが内臓むき出しの状態で晒される状況を作ってしまうことは間違いない。
静かに無菌室(アメリカの傘の下)で寝ていればいいものを、一時の感情の高ぶり(反米機運)で点滴を引き抜き外に飛び出す(日米離間)ような真似をすれば、なすすべもなくウィルスにやられ、終いには不治の病に冒されに至る危険さえあるというわけだ。

ちなみに、冒頭で触れたラッド氏は、イラクからの豪軍撤退を打ち出す一方で、ヨルダンなど周辺国への新たな部隊派遣も検討している。対米"非追従"姿勢を明確にする一方で、国際社会に対しては主体的に責任を果たす意思を明確にしているのだ。日本の野党には学んでほしい姿勢である。

憲法をめぐる議論が迷走していることも懸念すべきだ。
日本には、このまま憲法を守ってアメリカの傘の下で生きていくオプションもあれば、憲法を変えて国際社会で主体的に地位を占めていくオプションもある。いずれもオプションとしては長所も短所もあり、議論に値する。こと私は自由主義者であるから、それが尊重され、守られる環境であれば如何なる議論や主張にも相応の価値があると考える。

が、恐ろしいのは国民が明確なビジョンを見出すことなく、ただ"空気"に流されていくことだ。
地政学的に見ても、日本の周辺では朝鮮半島や台湾海峡など不安定な地域が多く、台頭する中国とその軍事力は率直に脅威と認識しなければならない。だが、大多数の国民にそうした認識はなく、経済的にこらえ性のなくなった人間が自由主義経済の恩恵を忘れてぼやくという状況で、沈滞ムードさえ漂う。

政治・メディア主導で様々な国家的ビジョンについて国民世論を喚起出来ないのだろうか。
政治家やメディアにはそうした役割があるはずだが、彼らの良識に期待しても物事は進みそうにない。かといって今の状況で国民の側から何かを突き動かすかのような契機はなさそうだ。
意志なき日本のとめどなき漂流が始まりそうである。 (Y・K)


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"KY"は罪か

世間の今の「常識」を列挙してみる。
・日本は史上かつてない格差社会である ・規制緩和をはじめとする「市場原理主義」的政策は悪だ ・小泉改革の行き過ぎで地方は疲弊した ・そしてこういった主張を認めないのは「KY(空気が読めない)」だ ―

これらにはそれぞれ嘘や詭弁が交じっているわけだが、何せこの国ではマスコミの言うことは全て正しいと知らず知らずの間に信じ込む国民が多い(こういう人々を「SG(洗脳された愚民)」と呼ぶ)。

"SG"は、無知ではなく無関心だ。という以前に考えることを知らない。知っていることを元に考えれば、マスコミや世間が「常識」としていることがその名に相応しくない疑わしき俗説であることなど容易に看破できる。

「格差」とは何か。それを最も明確に体現するのがスラム街だが、日本にはそれはない。
あるいは生まれた子どもを「間引き」と称して殺したり、娘を売り飛ばしたりしていたのはつい7、80年前までの話だ。
そんな時代よりも今のほうが「格差」があるとするならば、格差という言葉は一体どういう意味なのだろうか。

「市場原理主義(これも悪意ある俗称だが)」とは何か。市場という効率的な富の分配スキームを否定したそれと対極の思想は「社会主義」だ。ハイエクは社会主義とファシズム(全体主義)は同じだと喝破した。近代自由主義、そして民主主義は商業の自由から生まれたこともまた彼の指摘するところだが、規制を志向し人々から経済的自由を奪うことは結果的にファシズムに帰結し、破綻に行き着く。
嘘だと思わばソビエトを見よ。この一言に尽きる。

「地方の疲弊」とは何か。つまるところ、公共事業費削減や地方の財源不足による行き詰まりではないのか。これは財政再建の流れに従った当然の帰結であり、小泉改革の悪行などというのは大嘘である。小泉改革が地方に何をしたのかといえば、例えば構造改革特区制度」の創設だ。街づくりや教育など、様々なテーマで規制緩和を行った結果それらは多くが成功を収めている。これこそが、小泉改革の結果だ。

最近の反改革論調を見ていると、ハイエクの「人々は一旦自由主義による経済的恩恵を受けると、こらえ性がなくなり再び規制を求めるようになる」といった趣旨の言葉を思い出す。
本当にその通りだ。今の日本社会で自由主義経済の恩恵を受けていない人間など一人もいないはずなのだが、どうしたことだろうか。

上に述べたことに何一つ詭弁や嘘はない。それでも"KY"と呼ばば呼べ、と言うものだ。
そのレッテルをこそ、我々は名誉の勲章としたい。
そんな「空気」など、読んだがお終いである。 (Y・K)


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内藤 誼人

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