創生・新しい日本

政治、経済、文化、社会・・・これからの日本を担う世代の提言Blog

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改めて都市からの税収移転に反対する

私は、「地域間格差の是正」の名の下に行われる都市から地方への税収移転論議についていつも思うことがある。
日本は自殺する気か、と。

以前、日本テレビの「バンキシャ!」で都知事選特集を見ていて驚いたことがあった。ある脚本家が、東京五輪計画に反対する理由として「東京に人が集まれば集まるほど地球環境に良くない」と述べていたのだ。そしてその延長で「地域間格差の是正」を訴えていた。
あえて誰とは言わないが、これが世に言う「有識者」の知見なのだろうか。根拠なき風説を流すくらいなら素人は黙っていろと言いたい。その無責任な言動ひとつひとつが日々国民を誤解させ、馬鹿にしているのだ。

この風説に反論するとすれば、まず都市機能は人口の集積により効率化されていくというセオリーを紹介しなければならない。例えば、東京都民の1人あたりCO2排出量は全国で最下位だ。きめ細かい鉄道網を利用する住民が多く、その分マイカー利用が少ないのが最大の要因だろう。この事実を知っていれば、「東京に人が集まると環境に悪い」などとは口が裂けても言えまい(東京の空気と田舎の空気とどちらが綺麗か、という話とは別次元だ。それでも今の東京の空気は都心でも深呼吸できるほど美味い)。
東京一極集中は、危機管理上疑問はあっても経済面、そして環境問題から見ればむしろ促進されるべきものだろう(田舎で悠々とマイカーを乗り回し、二言目には道路を造れというその感覚が日本と地球を滅亡に追いやる。違うだろうか)。

ここで、地方へのバラマキ(最近は"地域間格差の是正"という別称を得た)が如何に愚かで不健全な政策であるかを示すひとつの事例を紹介したい。
それが「一県一空港政策」だ。

政策決定までの経緯は割愛するが、この政策ではその名のとおり全国あまねく空港を整備することが目標とされ、実際多くの地方空港が作られた。一部ではよく知られていることだが、その多くは利用者数予測を下回る実績しか出せなかったうえ赤字を垂れ流し、ツケを住民に負わせている。あるいは、一見うまくはいってもその地域から都市への人口移動を誘発し、地方の産業の空洞化を促す結果になった(俗に言う"ストロー現象"だ。高速道路にはもっと明確にその傾向が現れる)。

だが、この政策の質(たち)の悪いのは、単に地方から経済活力を吸い上げただけでなく、都市のあるべき機能を奪い、あるいは後退させたことだ。
限られた空港整備予算(一説には道路の50分の1とも言われる)のなかで地方空港の整備を優先させれば、当然都市における空港機能の拡充や新規整備は遅れる。それ以外の様々な政策ミスも重なり、首都圏では羽田・成田の棲み分け、関西圏では3空港並立という極めて非効率・非生産的体制が完成してしまった。

こうしたことから言えるのは、現在指摘される「地域間格差」の是正に税収移転や道路整備などのバラマキで対応するのは不毛以上にマイナスの効果しかないということだ。
現在有力なのは東京から3000億円、大阪・愛知などから2000億円弱、計5000億円の税収を召し上げ、地方に配分するという案だそうだが、公債残高が兆以上にまで膨れ上がっている県は多い(何せ宮崎県でさえ1兆円弱だ)。東京から都市機能整備・維持のための貴重な税収を奪うだけでなく、焼け石に水のキャッシュバックキャンペーンをやることに何の意味があるのか。

道路整備についても、10年間で68兆円分の道路整備(道路特定財源)とは何のつもりなのか。地方の要望というが、その要望に従って道路を造ってきた結果地方は都市に人口も金も吸い上げられたのではないか。不要不急のものに使うためにそれほどの財源があるならば、一般財源化するだけで消費税増税は先延ばし出来るだけでなく、法人税減税や証券優遇税制存続も出来るだろう。要らない道路を造る仕事しかない役所なら潰してしまえばどうかとさえ思う(旧運輸省の無策が現在の日本の航空市場の惨状を作ったのだから尚更だ。今の国交省は「無くてもよい」以上に「無いほうがよい」)。

兎にも角にも、「都市は稼ぎすぎだ、地方に分けろ」というのは不毛なやっかみでしかない。そんな発想しかない地方ならば、堂々と切り捨ててしまえばよいのではないか。
今地方が苦しいとすれば、それは身の丈に合わない過剰なインフラを抱えながら東京を追いかけようとしていることに原因がある(だからこれ以上過剰なインフラと借金を作ってはならない)。都市は都市、地方は地方と明確な役割の分担を行い、そのうえで地方自身が採るべき政策を自ら考えるということが重要だ。それによって建設会社が潰れるというのであれば仕方がない。その業界に関わる人々をセーフティネットで掬い上げる以外に対処の方法はないし、産業間の健全な人的流動を促す意味でも前向きに捉えるべきだ。

「地方再生」の真の切り札は、①道州制導入をはじめとする地方分権の推進と②国から地方への税源移転である。帳尻合わせで東京をやり込めるような真似をすれば、日本全土が等しく沈没するであろうことを警告したい。 (Y・K)


(11/29追記)先日の記事を書いた翌日、タイムリーに関連するニュースが飛び込んできたので追記しておいた。日本の空港政策は、真剣に考え直さなければならない段階にある。既に手遅れの感も強いが。


変革するは我にあり―独立分権宣言!変革するは我にあり―独立分権宣言!
(2001/11)
月尾 嘉男

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民主党は2ちゃんねらーと同じか

香川の祖母・孫3人行方不明事件の結末は「祖母義弟による殺人事件」となった。
が、事件発生から今日に至るまで「2ちゃんねる」をはじめとするWeb上のコミュニティでは「あの父親が怪しい」と言わんばかりの(あるいは完全に断じている)空気がありありだった(画伯という通称まで付いていた)。
結果として、その父親は娘2人を期せずして失ったばかりか、世間から犯人扱いされ、加えて親族の犯行というショッキングな事実に追いつめられることになった。
この一件は、同情してもし切れない。

一方国会では、額賀福志郎・財務大臣が守屋武昌、宮崎元伸らと宴会に同席していたのではないかという疑惑をかけられていた。事の発端は守屋自身の証言によるが、民主党は「第三者の証言」「座席表」などの「証拠」なるものの存在を明らかにした(結局「第三者」は守屋だった)。
「証拠」自体は明らかにせず、証人喚問の応諾を求めたわけだが、これだけでも民主党の対応は可笑しい。

通常、物事に対する立証責任はそれを言い出した側にあるはずだ。
にも関わらず、民主党は「額賀が証言すれば済むこと」と他者に立証責任を転嫁したばかりか、「やましいことがなければ喜んで証言すればいい」などと中傷とも挑発とも取れる言い草を放った。
考えても見ればよい。事実かどうかもわからない(怪しい)巷の流言蜚語のような類について、いちいち大臣に立証責任を転嫁していれば大臣は仕事などやっていられない。百歩譲って民主党の論理を認めたとしても、それは自民党からすれば小沢一郎(巨額の寄付を受領)や東祥三(小沢側近・山田洋行顧問の経歴も)をも証人喚問できることになる。
「一緒に飯を食っていたのではないか。裏に何かありそうで怪しい」と言い出せば、「巨額の寄付はなぜ行われたのか。裏に何かありそうで怪しい」、あるいは「元代議士がなぜ山田洋行の顧問まで務めたのか。裏に何かありそうで怪しい」という話も出てきて可笑しくないからだ(ちなみに東は今、地元選挙区で次期総選挙に向けた選挙活動をしている)。

ここまで述べれば諸氏もお分かりだろう。
他人を根拠なき飛語で貶め、しかもその立証責任までもを転嫁する行為が如何に品格も常識も欠如した行為であるかが。
しかも、初めは証言者は宴席に出席した第三者というニュアンスだった(それが心証としての信憑性を高めた)はずが、結局"証人は証人の証人"という自己矛盾だ。ここまで来れば空気が読めない(KY)どころか、頭が弱い(AY)のではないか。

念のため申し上げておくが、私は額賀大臣の宴会出席疑惑が"シロ"だと断定しているわけではない。尤も、昨日の自民党の調査結果からすれば、我々の生きる三次元の世界では"クロ"はあり得ないことだろうが(ちなみに私は現在支持政党を持たないので誤解無きようにお願いしたい)。

少なくとも、根拠も何も明確に示せず、立証責任さえも果たせない今の民主党は、2ちゃんねらーどころか小生意気な糞餓鬼と同類だ。
全く、詭弁にも使い方と言うものがある。下に良書を紹介したので勉強し直すとよい。

政策提言の価値さえ見出せない国会の醜態を見せられ、幻滅する国民の気持ちくらいは理解していただきたいものだ。 (Y・K)


詭弁論理学 (中公新書 (448))詭弁論理学 (中公新書 (448))
(1976/01)
野崎 昭弘

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国内航空"内憂外患"極まれり

大韓航空(韓国航空最大手)が、低運賃航空の設立を正式に発表した。
社名は「エア・コリア」。大韓航空が現在保有するエアバスA300-600R型機(中型機/JALも使用)とB737-800型機(小型機/ANA、スカイマークエアラインズなども使用)を借り受けて運航を開始するようだ。

注目すべきは、これが日本発着の国際線にも就航する見通しであること。それも、今まで関西国際空港でしか実現していなかった低運賃航空の国際線参入が地方空港でも実現する可能性が高い。
外国航空会社の地方空港への乗り入れは、つい先般事実上自由化されただけに、今後一気に参入が進む可能性がある。

気づけば周りは"黒船"だらけだ。
今年3月に関西国際空港にジェットスター(豪カンタス航空傘下)が就航し、東南アジア低運賃航空最大手のエア・アジアもグループ会社の日本発着国際線参入の意向を表明した。それ以外にも、判っているだけで韓国1社、香港1社、マカオ1社、シンガポール2社の計5社が日本発着国際線への参入を目指している。
そうしたなかで、先陣を切って地方空港発着路線への参入まで明らかにした(具体的な路線は不明だが)エア・コリアの動きは、予期されたものとはいえ衝撃的だ。

低運賃航空の国際線参入は、単に日本の航空各社に影響を与えると言うだけではない。
過熱する近隣諸国との"ハブ空港"地位競争により大きなネガティブ・インパクトを与える可能性もあるのだ。
現在、国内では20以上の地方空港に韓国の大手2社(大韓、アシアナ)が定期便で就航している。これにより、地方から海外に出国する日本人が仁川経由で目的地に向かうケースが非常に多くなっている。韓国の低運賃航空の就航が、この動きに一層拍車をかけることは間違いない。結果、成田・関西・中部の三大国際空港は国内の利用者さえ満足に集められない(仁川に奪われる)だけでなく、地域ハブから一気に弱小空港へと転落する可能性もある。
海外からの影響で、空港において空洞化現象が起こる可能性がより現実的になったと言えよう。

更に悲劇的なのは、こうした動きに対して国内航空会社、空港ともに対抗する術を持っていないことだ。
現在、大手2社のうち全日本空輸(ANA)のみが国際線も含めた低運賃航空の創設を準備しているが、まだ具体的な計画は一切明らかになっていない。加えて、国内空港はそもそもその施設を利用するためのコスト(着陸料など)が非常に高く、低運賃航空を育成するだけの基盤がない(詳しい問題点はこの前の記事でも紹介している)。

昨日、国内新規航空のスターフライヤー(SFJ)にANAが約1億円を出資することが明らかになったが、その目的のひとつがANAグループの低運賃航空設立のためのノウハウを蓄積することだという見方がある。
が、SFJの運賃水準はそもそも"低運賃"と称するほど明確な差別化がなされているわけではなく、サービスもハード・ソフト両面で付加価値を高めてあるため、相対的に低コストにはなっていない。加えて、そもそもSFJは就航からまだ2年に満たないから、「ノウハウの蓄積」など望むべくもない。
とすれば、ANAがSFJに出資を決めたのは経営に対する一定の発言力を得て国内線での競争を和らげる目的からだったと解釈するのが自然だ。

ところが、冒頭から述べてきたような状況にあってはANAは国内線よりも国際線において特に競争への対応が必要になる。ANAは国内で1億円の大枚をはたいて投資しただけの成果を挙げられるのか極めて疑問であるのみならず、明らかに競争対応の順序を間違えているのだ。
更に言えば、1億円出資しても出資比率は1.05%(発行済総株式数比)に留まる。出資したところでSFJの経営への影響力は僅かに限られるだけでなく、現在両社が羽田=関西国際空港線で進めているコードシェアでもSFJにより有利な対応をしなければならない立場に追い込まれた。SFJがANAとの競合で経営不振に陥った場合、ANAは利益相反により株主代表訴訟のリスクさえ抱えかねないからだ。

もう一方の大手である日本航空は、最近ようやく収益が持ち直しつつあるが新規投資を行って海外の"黒船"勢と伍すだけの経営体力はまだない。前出のジェットスターとはコードシェアで提携(関西=ブリスベン=シドニー線)しているが、今後競争が激化するアジア近距離線ではどう対応するのか注目される。

いずれにせよ、日本の航空業界はいよいよ内憂外患極まれりという状況になっている。
ここでイニシアチブをとり、国内航空の競争力強化へ動くべきなのは行政(国土交通省)だが、昨今の諸問題への対応を見るにつけ、期待すべくもなさそうだ。残された時間は少ないが、空港、航空会社一体となった競争力の向上に向けて音頭をとるのは一体誰であろうか。 (Y・K)


(11/28追記)噂をすれば何とやら、である。今度は、中部国際空港が大韓航空と提携して中部圏の貨物を仁川経由で全世界に輸送する体制を整えると発表した。既に大韓航空は貨物取扱高では世界の3位以内に入るが、これで更に仁川の極東ハブ化が進む。中部国際空港も、その現状を追認した(せざるを得なかった)ということだ。これでも企業経済において規制強化が必要とか、地方にカネを回せとか言う人間は規制と一緒に心中すればどうか。そういう無責任な言説が日本をここまでの窮状に陥れたことを認識してほしい。


地に墜ちた日本航空―果たして自主再建できるのか地に墜ちた日本航空―果たして自主再建できるのか
(2007/05/31)
杉浦 一機

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外資嫌いの白昼夢から覚醒せよ

日本空港ビルデング(羽田空港ターミナルビルの運営会社)の株式を豪・マッコーリー銀行が買い進めていることが議論を呼んでいる。

マッコーリー銀行はシドニー空港の株式の過半数を保有し、カンタス航空など世界の主要航空各社にも買収提案を行うなど、航空関連の企業への強い投資意欲を見せている。同様の投資会社としてはテキサス・パシフィック・グループ(TPG)なども存在するが、日本の代表的な航空関連企業に投資を行ったのはマッコーリーが事実上初めてだ。

元々日本では"ハゲタカ"などという言葉に代表されるように外資アレルギーが非常に強い。加えて、重要な社会インフラである空港に関わる投資であるため、今回の案件については「安全保障上の懸念がある」などとして買収を認めない空気が強い。

が、海外ではヒースロー空港などイギリス国内の主要空港を運営するBAAが、スペインの建設会社に買収されるなど外資受け入れの動きがままある。
言うまでもなくイギリスは日本よりもテロに対する懸念が強い(実際頻発している)が、そうした国でも空港に外資を受け入れて経営の改善に取り組む動きがあるだけに、この際日本も前向きに考えてみるべきではないだろうか。「安全保障上の懸念」というのは、経営改善の必要性以上に説得力のある論理だとは言えない。

マッコーリーは投資銀行であるから、仮に買収に動くとすれば空港ビルを非上場にしたうえで経営を改善し、再び上場させて株式を再売却するという流れになるだろう。株を永久に持ち、東京の喉元に短剣を突きつけ続けるなどということはあり得ない。むしろ、買収により経営が改善され、国際競争力のある空港ビルに生まれ変わるならば諸手を挙げて歓迎すべきではないだろうか。

今後再国際化を見込む羽田空港にしろ、あるいは上場を見込む成田空港にしろ、喫緊の課題は着陸料など乗り入れ航空会社の負担を軽減し、一方で収益の向上に取り組むことである。
そのためには、①非航空収入の拡大と②旅客・貨物取扱量の拡大、の2点が重要となる(それ以前に羽田空港は空港とターミナルビルの一体経営への移行が望まれる)。
そのうち、ターミナルビルの経営改善は特に①の点について効果を挙げる。ソフト/ハード両面でより効果的な投資を行い、結果として空港利用者に相応の付加価値のあるサービスを提供出来ればそれは非航空収入の向上に直結する。利用者の満足度が向上されれば、②のうち旅客取扱量の向上にも波及するだろう。

こと成田空港については、2009年度にも運営会社(NAA)の上場を見込む。そのうち政府保有株の上場益については、成田空港のアクセス/イグレス改善のための投資のみならず、まだ調子の上がらない関西国際空港や経営が失速気味の中部国際空港へ資金注入するために使われると見られる。上場後NAAの株価を決めるのはマーケットによる厳格な評価であるから、政府がより上場益をあげ、それぞれの目的に十分な投資を行うためにはNAA自身の将来への取り組みが欠かせない(政府の売却のタイミングにもよるが)。

上場は既にロードマップに入っており残された時間は少ないが、国際航空運送協会(IATA)の要請に従い、一定水準まで着陸料等を下げる時期はひとつのコミットメントとして示しておかねばならない。2010年を目途に暫定滑走路の2500メートルへの延長も行われるが、これがひとつの目安になる可能性もある。
それ以外にも、トランジット旅客のための施設整備とサービスの提供や店舗エリアの拡大など、マーケットが期待をもてるだけの明確なビジョンを提示する必要がある。

現在はまだ空港容量の限界が需要の伸びを抑えている状態だが、我が国の経済大国としての地位が徐々に危うくなっている現状下でヒト、モノ、カネの流れのいずれもを満足に受け入れられないとなれば経済は破綻する。それだけ切羽詰った状況にあって、行政も事業者自身も自助努力を発揮できないのであれば、外資を受け入れて根性を叩きなおすしかないだろう。愛国心を守って国が潰れるのでは話にならない。

都市から財源を取り上げたり、不要な道路を造ったりしている余裕はこの国にはないことも、申し添えておきたい。道路を造って国が潰れるというのもまた、話にならないのだ。 (Y・K)


空港民営化―日本再生と生まれるビジネスチャンス空港民営化―日本再生と生まれるビジネスチャンス
(2002/03)
森 浩、渡辺 信夫 他

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官製IT・ネット戦略の的外れ

"国産検索エンジン"に続く、新たな官製プロジェクトの始動である。

経済産業省は、ヤフーや楽天、三越、佐川急便から果てはグーグルまで巻き込んで「日本のインターネット通販をアジア各国で利用しやすくする仕組み」作りに動き出した。簡単に言ってしまえば、アジアに住む人間が楽天でショッピングをできるようにしようということだろう。

率直に言って、私は経産省の意図がよくわからない。
BtoCのEコマースのプラットフォームなりシステムをアジア各国に供与しようというのであれば理解は容易いが、同じBtoCでもアジアの人間が日本のEコマースサイトで買い物をしても仕方がない。ライフスタイルも趣味も何もかも違うからである。
はっきり言って、これはまともな商売にはならないだろう。下手をすれば、悪評高い国産グーグル、京速計算機に続く税金浪費プロジェクトになりかねない。

日本のEコマースサイトは、大規模な販売事業者が商品を一手に引き受けるアマゾンのような業態でなく、小規模な事業者が寄り集まってショッピングモールのようなサイトを形成する楽天型が目立つ。その要因として、例えば決済においては"元締め"である楽天のような事業者がクレジットカード決済などのシステムを提供し、加えて代金引換という日本独自のサービスがあり、小規模事業者の負担は少ないことがある。それ以外にもポイントサービスやその他販促キャンペーンを一体的に提供できるプラットフォームまでも"元締め"が持つ(事業者の負担は事実上商品の発送のみ)。結果、小が集合して大を成す「スイミー型」Eコマースが成立しやすいのだ。

が、これが海外に対する商売となると話が違う。
発送だけでも事業者ごとの負担が増すだけでなく、価格設定を含めたマーケティング全体の再考が必要となるからだ。関税その他のコストを勘案しても、国内向けの価格・サポートのまま海外向けにBtoCのEコマースを展開するのは不可能に近い。
経産省は決済と商品引き渡しで工夫をする(現地の銀行や百貨店を活用して現金決済をしやすくするなど)と言うが、それ以前に根本的な問題があるのだ。

BtoBで製造業同士の国際連携を容易にするなどのあり方は十分考えうる。が、日本のネット通販をアジアの人々にも使ってもらいましょう、などというお節介発想はあまりにも非現実的である。中国のEコマース市場規模が日本の20分の1だからと言って、日本向けのEコマースサイトを使わせればよいということにはまずならない。
海外向けに商売をするならば、それに向けた専用のサイトなりプラットフォームを新たに作っていく他ない。ヤフー(ソフトバンクグループ)や楽天はそれぞれ現地で独自戦略を展開しており、こうしたことを理解しているはずだ。そのうえで監督官庁の研究会には"お付き合い"で参加しているに過ぎないだろう。当の行政がそれに気づくのは、いつになるだろうか。 (Y・K)


楽天市場がなくなる日 (洋泉社ペーパーバックス)楽天市場がなくなる日 (洋泉社ペーパーバックス)
(2006/02)
宮脇 睦

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意志なき日本の漂流

昨日大勢が判明したオーストラリアの総選挙では、与党・保守連合(自由党・国民党)が野党・労働党に大敗するという結果になった。
与党を率いるジョン・ハワード首相が自らの選挙区(シドニー)で落選するなど、11年ぶりの政権交代を強く印象付ける結果が現れた。

野党・労働党を率いるケビン・ラッド新首相の政策は、実際にはハワード政権とそう大差ない。特に経済面において、ハワード政権に失政といえるようなものはなく、選挙戦で両党が掲げた所得税減税案も酷似していた(ラッド氏はミー・トゥー(me too)な人、とさえ言われた)。
にも関わらず、オーストラリア国民が政権交代を選んだ理由については、「イッツ・タイム(It's time)症候群」だと解説する向きがある。つまりは、ハワード政権について失政はなくともそろそろ引き際だと多くの国民が感じていたということだ。

が、こうした漠然とした理由とは別に、もっと明確な両党の対立点があった。
ひとつは地球温暖化に対する政策だ。京都議定書への批准については、ハワード政権が一貫して拒否し続けてきたのとは対照的に、ラッド氏は「総選挙で勝利すれば即時批准する」としてきた。
もうひとつは対米姿勢だ。ハワード政権は同時多発テロ以来一貫してアメリカを支持し、イラクへも派兵してきた。が、ラッド氏と労働党は豪軍のイラクからの撤退を主張している。

つまりは、今回の総選挙で豪国民が行った明確な選択の第一点は地球温暖化問題への前向きな取り組み、そして第二点は"対米追従"からの脱却だと言える。

今回のオーストラリアの政権交代により、主要国ではブッシュ政権を支持した「有志連合」の立役者が全て表舞台から消えたことになる。
スペインのアスナール首相は、やはり"対米追従"批判に負け、サパテロ首相に政権を譲った。これが最初だ。以後、日本の小泉首相、イギリスのブレア首相などが続々と退陣し、同じ与党で政権を引き継いだが日本は周知の通りの現状、イギリスでもブラウン首相が総選挙の延期を表明してから逆風に晒されている。

一方、イラク戦争に反対した主要国の中では政権の権力基盤がより一層強化された例が目立つ。
ロシアではウラジーミル・プーチン大統領が来年大統領としての任期切れを迎えるが、彼が権力を手元に維持し続けるのは既定路線だ。三選禁止規定回避のため首相に就任するとか、任期切れ直前に辞任して大統領選に出れば三選禁止に抵触しないとか、そうした続投前提論はしばしば聞こえてくるが野党は共産党以外議席を得ることさえままならない情勢で、完全に埋没している。
中国でも、先の党大会で胡錦濤国家主席は中南海を"制圧"し、江沢民氏の上海閥の影響力を決定的に削ぐことに成功した。曽慶紅氏の引退はその最たる例だろう。
また、フランスではジャック・シラク大統領が引退し、同じ与党の国民運動連合(UMP)からニコラ・サルコジ氏が新しい大統領に就任した。彼は親米路線に舵を切っているものの、つい先ごろも年金改革で鉄道労組のストに打ち勝つ成果を挙げるなど政権基盤を確実に固めつつある。

こうした動きを概観すれば、国際社会では総じて反米的傾向が強く、濃くなっていると言えよう。大きなトレンドと言ってよいかもしれない。
国内でも、小沢氏と民主党議員の言動は国民の潜在的反米意識に訴えかけるような側面がある。イラク戦争の正統性を疑う空気は当のアメリカでも強いだけに、全世界的なアメリカ離反の動きに従って日本の政局も動いていく可能性は高い。

だが、そうした流れのなかでも指摘しておかなければならないことは、日本が外交・安全保障政策において手元に置くオプションは限られるということだ。
現憲法下において、戦後一貫して日本の安全保障を担ってきたのは他ならぬ米軍である。日米安全保障条約なくして日本の国家安全保障は成立せず、必然的にアメリカ寄りの("対米追従"と評判の悪い)外交が求められる結果となることは言うまでもない。

他国で反米機運が政権交代を巻き起こすのは、有事の際には基本的に自国軍のみで対応出来る安全保障体制と、それに対する国民世論の無意識の信認があるからだろう。そのうえにおいて議会で二大政党制が定着していれば、外交政策においても国民は常識的なオプションをいつでも選べる。
ところが、日本では主体的な安全保障体制は存在せず、現行の米軍を基軸とした安全保障体制にも信認が明確にあるとは言えない。実際、米軍基地は何処でも厄介物扱いであり、事あるごとに住民投票を持ち出す勢力と、その勢力の期待に満額回答を寄越してしまう多数の住民の存在が目に付く。

こうした状況下において、"対米追従"などという言葉を持ち出して反米機運を煽るのは危険だ。
何しろ、日本には他の国家が当たり前のように行使できる「主体的な外交・安保」というオプションがない。また、そうした状況を打開しようというビジョンもないのだから尚更だ。にも関わらず、安易に対米離反のような主張を行って国民の歓心を買おうとするのは(民主党にしろ自民党のリベラル系勢力にせよ)、流動化する国際社会のなかで日本だけが内臓むき出しの状態で晒される状況を作ってしまうことは間違いない。
静かに無菌室(アメリカの傘の下)で寝ていればいいものを、一時の感情の高ぶり(反米機運)で点滴を引き抜き外に飛び出す(日米離間)ような真似をすれば、なすすべもなくウィルスにやられ、終いには不治の病に冒されに至る危険さえあるというわけだ。

ちなみに、冒頭で触れたラッド氏は、イラクからの豪軍撤退を打ち出す一方で、ヨルダンなど周辺国への新たな部隊派遣も検討している。対米"非追従"姿勢を明確にする一方で、国際社会に対しては主体的に責任を果たす意思を明確にしているのだ。日本の野党には学んでほしい姿勢である。

憲法をめぐる議論が迷走していることも懸念すべきだ。
日本には、このまま憲法を守ってアメリカの傘の下で生きていくオプションもあれば、憲法を変えて国際社会で主体的に地位を占めていくオプションもある。いずれもオプションとしては長所も短所もあり、議論に値する。こと私は自由主義者であるから、それが尊重され、守られる環境であれば如何なる議論や主張にも相応の価値があると考える。

が、恐ろしいのは国民が明確なビジョンを見出すことなく、ただ"空気"に流されていくことだ。
地政学的に見ても、日本の周辺では朝鮮半島や台湾海峡など不安定な地域が多く、台頭する中国とその軍事力は率直に脅威と認識しなければならない。だが、大多数の国民にそうした認識はなく、経済的にこらえ性のなくなった人間が自由主義経済の恩恵を忘れてぼやくという状況で、沈滞ムードさえ漂う。

政治・メディア主導で様々な国家的ビジョンについて国民世論を喚起出来ないのだろうか。
政治家やメディアにはそうした役割があるはずだが、彼らの良識に期待しても物事は進みそうにない。かといって今の状況で国民の側から何かを突き動かすかのような契機はなさそうだ。
意志なき日本のとめどなき漂流が始まりそうである。 (Y・K)


日本の論点2008日本の論点2008
(2007/11/08)
文藝春秋

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大学生の学力保証のための提案

先日、教育再生会議が大学入試改革の素案をまとめたが、その骨子が「高卒学力テスト」の導入だ。

推薦AO(アドミッションズ・オフィス)方式により学力ベースの試験を受けずに大学に入学する人間は今や半数を超えているというが、それと同時に進行しているのが大学生の学力低下だそうである。
低下の度合いやその見方については割愛するが、大学生に一定以上の学力が保証されない中で大学に「国際競争力の向上を」と発破をかけても始まらないのは確かだろう。

その点において、入試の方式を問わず全入学志願者に受験を強制する「高卒学力テスト」の導入は妙案であると言える。
が、日本の大学の国際競争力の強化(相対的な学力はもちろん、研究レベルやその他人材育成・就職等も含めて)を念頭に置けば、一律のレベルで線を引き、高校卒業段階での最低限の学力を担保させるのは非効率であるとも言える。

例を挙げれば、日本における最高学府である東京大学と、"日東駒専"などと呼び称されるような大学において必要とされる「最低限の学力」は全くレベルが違う。
特に私大においては生き残りをかけてカリキュラムに特色を出し、独自の方向性で結果を出そうと努力している大学もあるだけに、単一の「学力テスト」で大学生の最低学力を保証するというのは無理があるのだ。

そこで私は、段階別の統一学力テストの導入を提唱する。
全国一律、全入学志願者に受験を強制する点は再生会議の案と変わらないが、①各大学独自の学力ベースの入学試験を全廃し、②出題レベルを5,6段階に分け、③科目を相当数(基本教科の他、外国語や情報処理その他の特殊なものも含め)用意し、④各大学・学部が②、③について基本的に自由裁量で志願者に指定出来るようにする、という点が特徴だ。

恐らく、こうした提案を行うのは私が初めてだろう。

それぞれの点について、まず①はこの制度が骨抜きにならないために必要不可欠な条件である。
この制度案の着想は、日本の大学が「入るのは難しいが、出るのは簡単」とされる仕組みであることへの問題視にもある。こうした仕組みであることが日本の大学の国際競争力をある程度落としていることは明白だ。よって、入試問題自体からあえて独自性を奪うことによって、客観的に必要な素養を持った学生を大学が責任を持って「特色ある人材」に育てていくという新しい仕組みを作りたい。

特に上位大学において、毎年趣向を凝らして難易度を高めた入試問題が花盛りだが、最初から大学ブランドに向いた優秀な学生を採れば、就職実績でもそれを反映した結果が出るのは当然だ。
問題は、その入試から就職までの間の4年間に、大学が学生に対して明確な教育効果(専門的な技能、知識の習得から社会人としての素養まで)を発揮できないことにある。この傾向は特に、文系学部において顕著だ。
有名・名門大卒業生でも「使えない」という風評がしばしばあるのは、正にそうした問題点が顕在化しているからではないか。

②、③、④についてはより子細な検討を要する。
が、あえて述べれば、現在全国の大学で行われている一般的な入学試験の科目を取り入れ、科目の選択と出題レベルについては大学・学部の裁量に任せるものの、第三者機関の審査が必要となる仕組みが理想だろう。
第三者機関が大学の教育の成果を多面的に評価し、それと照らし合わせて著しく不当な科目・レベルの選択を大学が行った場合には是正を勧告できる仕組みだ。

こうした仕組みにより、各大学は同じスタートライン(同じ入試問題・制度)から如何に優秀な大学生を育てることが出来るか、より公平に競うことが出来る。
現在は下位に甘んじている大学も、教育の成果を正当に評価されれば名門校に仲間入りを果たせる可能性がある一方で、上位大学でも怠慢的教育を続けていれば一気に落日の憂き目に晒される。
大学間に自由競争の仕組みを導入し、国全体で大学の競争力を底上げできるカギとなるだろう。

国立大学も独立行政法人化され、より大学それぞれの実力が重んじられる環境となった。
が、それでもまだ虚像の「大学ブランド」が幅を利かせ、大学の競争力を削いでいる側面が強くある。
GDPでは世界第二位の我が国が、大学ランキングでは最高位の東大でやっと20位(国連開発計画調べ・07年度)となっているのは決して偶然などではないはずだ。
入試偏重・教育軽視の現在の大学制度を根本的に改め、競争力の強化とより多様で有能な人材の育成を実現するために、私はこの新制度を提唱したい。 (Y・K)


大学の教育力―何を教え、学ぶか (ちくま新書 679)大学の教育力―何を教え、学ぶか (ちくま新書 679)
(2007/09)
金子 元久

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タクシー業界の自縄自縛

最近、全国のタクシーで値上げの動きが相次いでいる。
全国的傾向であるのであえて特定の地域について詳しく述べることはしないが、この状況を受けて先日国土交通省が打ち出した措置には驚いた。

同省は、全国で特に過当競争ぶりの目立つ7都市について、台数増に規制を設けるなどの制限措置を打ち出したのだ。この一環で、仙台では来年の8月まで新規参入が全面的に禁止されるという(試験的措置のため延長の可能性も)。

値上げの直接的理由は、原油高に加え「規制緩和による競争の激化でコストが吸収しきれなくなった」(業界団体曰く)ことだ。
実際、大都市では規制緩和に伴い「500円ワンコインタクシー」などの魅力的なサービスを打ち出す新規参入者が目立つ。これ自体は利用者利益に適うものであり歓迎すべきなのだが、上記のような環境下で運転手の労働環境が悪化し(長時間労働の常態化と賃金の低下など)、一部都市ではタクシーによる交通事故率が明らかに高くなったなどの問題もある。

こうした状況について監督官庁である国交省が何らかの手を打たなければならないのは言うまでもない。
が、それ以前に事業者(業界団体)自体の自助努力、負担の対利用者転嫁回避の努力が不足していることを指摘しなければならないのも事実だ。

タクシー業界の規制緩和を含む一連の規制改革は、その殆ど全てが利用者利益を志向したものである。
タクシー業界においても運賃の低下とサービスの多様化で利用者の選択の余地が広がり、利用者利益は明らかに向上したと言える。
更には、新規参入の実現により業界全体で雇用が拡大し、失業者の減少にも一役買っている。
これらは、事業者間の自由競争によって発生するものであり、規制なき業界ではごく常識的に機能している正常なメカニズムだ。

その点、タクシー業界がこれまで雁字搦めの規制に守られ、その中で事業者が事実上無競争でぬくぬくと飯を食ってきたこと、更にはそれにより不特定多数の利用者に算出不可能なほどの潜在的不利益を与えていたことがおかしいのである。
更に言えば、タクシー業界の規制緩和は何も急に決まって急に実行されたわけではない。
ついては、今後競争に晒されることが明らかになった時点で、各事業者が競争に打ち勝つだけのサービス・運賃戦略を考えるべきだったのだ。
にも関わらず、業界団体は殆どが正に護送船団の如く一律横並びの運賃を維持し、後発の新規参入者によって食い荒らされる結果となった。これは怠慢による必然と言える。

既存のタクシー事業者に飢えて死ねというのは全く良くないが、まずは業界団体自身が自己反省するのが第一だろう。現状では自らの苦境の原因を他に求める姿勢が目立ち、とても利用者の理解を得られる状況にはない。
規制改革の逆を行く今回の国交省の措置も、一時的なものであるとはいえ冷ややかに見るべきだ。

今後の対策としては、①行政主導で事業者間再編を促し、個々の事業者の経営体力を増すこと ②需要に対して過剰な供給を削減するため、タクシー業界から他業界への人的移動を促すこと(事業者の異業種参入を補助等) ③事業者自身の新規ニーズ開拓努力(介護など)と、それを促進するためのより一層の規制緩和、の3点が主に挙げられよう。

タクシーは"流し"で乗ることが多いから競争原理が働かない、というのは嘘である。地方でも介護やその他のニーズを捕まえ、"流し"に頼らない収益源を得ている事業者はある。そのニーズを見つけ、開発するのは事業者自身の仕事だ。
他業種では当たり前にやっていることである。

従来のような過剰な規制が不健全な業界体質(経営努力の消滅、利用者からの搾取)を生むことは明らかだ。逆戻りしてはならない。 (Y・K)


タクシードライバーほど面白い商売はないタクシードライバーほど面白い商売はない
(2003/08)
中嶋 浩

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"free"は"free"ではない

タダのモノが増えた。それに従って、情報もタダで得るのが当たり前になった。
今やニュースは全て地上波テレビかニュースサイトで見るという人も多い。

そういう流れの煽りを最も食らっているのが新聞である。
新聞の発行部数は97年の5377万部をピークに減少傾向にある。99年から2000年にかけて一時的な持ち直しはあったものの、それ以後は一貫して減少し続け、06年には5231万部まで下げている。
特に凋落が激しいのはスポーツ新聞だ。元々情報源としての価値が一般紙ほど認められない媒体であるため消費税増税や景気の悪化の影響をまともに食っており、部数は658万部(96年)から525万部(06年)と10年間で3割近い減少を記録した。

付け加えれば、これらの数字の出所は全て新聞協会の調べである。
各地で明らかになっている販売店への押し紙問題について、その存在さえ認めない新聞社が自ら作った業界団体の調べだからその点を織り込んで見る必要もあろう。
実態はもっと酷いかもしれない、ということだ。

が、こういう状況を「傲慢な大メディアの崩壊だ」などと喜ぶのは良くない。
このネット社会にあってなお、時間軸が最も長いメディアである新聞は、良い意味でも悪い意味でも権力に対する監視の機能(「第四の権力」とも言われる)を持ち、発揮している。
それが部数減による広告収入低下で弱まれば、我が国は最も「第四の権力」のあり方に近いメディアを失うことになる。

各紙の報道姿勢にそれぞれ批判があるとはいえ、新聞が我が国の国民の知的レベルを一定以上に保っている重要なインフラだということも忘れてはならない。
欧米など階級・階層化された社会では、富裕層は高級紙を、一般大衆は大衆紙(日本で言えば日刊ゲンダイ並みかそれ以上にレベルが低い)を読む。この区別は極めて明確で、裏返せばそれだけ経済的格差も教育の背景も日本より悪い状況にあるといえる。

ところが日本では、「一般紙」といえば全てグローバルスタンダードで言う「高級紙」だ。
新聞の非購読世帯は3割(首都圏)と言われるが、それでも最低7割の国民が毎日高級紙を読むという状況は全世界で日本をおいて他にありえない。
これには、我が国が江戸時代から世界一識字率が高く(特に男性)一般大衆レベルでの文芸も栄えたという文化的背景もある。

ロンドンなど欧州の主要都市では、日々のニュースについてさえも無料紙・フリーペーパーでのみカバーしようという人々が多くなり、結果として既存の新聞社の経営が非常に厳しくなっているが(それがあの再編の嵐になっている)、先に述べたような背景のある日本ではこういった現象は起こりにくい。

話は少し逸れたが、こうしたことを考えれば新聞の衰退をただ横目に見ているわけにはいかない。
より効率的なメディアのあり方を考えるとともに、有用な情報や社会的機能にはしっかりとした対価を支払うという「社会的常識」を改めて醸成していく必要もある。
そのためには、「情報はタダ」という新常識を作ってしまうような現在の情報接触のあり方が望ましくないことは言うまでもない。

今の大メディアは情けないが、そうであっても彼らが存在するために我々の国民としての自由も担保される。
そう、自由(free)はタダ(free)ではないのだ。

言い換えれば、「タダより高いものはない」。よく言ったものである。 (Y・K)


新聞社―破綻したビジネスモデル (新潮新書 205)新聞社―破綻したビジネスモデル (新潮新書 205)
(2007/03)
河内 孝

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航空会社の過当競争への対応策

東京=大阪線で過当競争の具合が増してきたように感じる。

従来からの新幹線との競合に加え、スターフライヤー(SFJ)の参入による便数増が東京=大阪線における航空各社の収益を圧迫している。
SFJが参入便数の少なさを逆手に取り、空白の時間帯に輸送力を投入したことを受け、大手2社はその時間帯により輸送力の大きな機材を使用した便をぶつけるという「SFJシフト」をとった。
また、新幹線との競合を踏まえ、運賃をより引き下げることで一部では新幹線の運賃を下回る航空運賃が実現している。

過当競争の激化は「ドル箱路線」といわれる東京=大阪線の収益貢献をより薄くする。
高速鉄道は特に短距離の旅客流動を航空から奪う傾向が強いだけに、いずれ東京=大阪間の旅客流動から航空が完全に締め出される可能性もあり、対応が必要だ。

ここで航空がとるべき具体的な手法としては、交通経済学の観点からは①単位あたり輸送力の削減と便数増による利便性の向上、②都心→空港のアクセス、空港→都心のイグレスの質的向上、の2点が特に重要だ。

そして、マーケティング的視点からの追加的措置として③競合に対するサービス(ハード/ソフト)の付加価値向上、④プライシングの全面的見直し(上方・下方いずれも)、が必要となる。

過当競争においては特にプライシングが逆イールドの下降曲線を描く。
これでは短期的な競争には対応できても長期的には確実に収益を圧迫し、非生産的な"全面戦争"を煽ることになる。

こうした状況を回避するのに有効な知恵としてマーケティングがあるのであれば、それをより有効に活用した価格・サービス戦略の策定が欠かせない。
そうした点において、特に前掲の③にフォーカスした戦略をとったSFJの戦略はある程度評価できる。

が、同社について言えば絶対的に重要な①、②の視点が根本的に欠落しているがために(資金的な問題など已む無き事情があるにせよ)、今後同路線で厳しい戦いを強いられることは自明である。
ここに、寡占市場における先行者の絶対的な優位を見て取ることが出来るわけだが、規制に守られた限られた市場の中で過当競争が発生した際最終的に不利益を被るのは利用者だ。

結局は航空行政の自由化・規制緩和ラインに基づくより積極的な対応が求められることは言うまでもない。 (Y・K)


日本の空を問う―なぜ世界から取り残されるのか日本の空を問う―なぜ世界から取り残されるのか
(2007/08)
伊藤 元重、下井 直毅 他

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