創生・新しい日本

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"free"は"free"ではない

タダのモノが増えた。それに従って、情報もタダで得るのが当たり前になった。
今やニュースは全て地上波テレビかニュースサイトで見るという人も多い。

そういう流れの煽りを最も食らっているのが新聞である。
新聞の発行部数は97年の5377万部をピークに減少傾向にある。99年から2000年にかけて一時的な持ち直しはあったものの、それ以後は一貫して減少し続け、06年には5231万部まで下げている。
特に凋落が激しいのはスポーツ新聞だ。元々情報源としての価値が一般紙ほど認められない媒体であるため消費税増税や景気の悪化の影響をまともに食っており、部数は658万部(96年)から525万部(06年)と10年間で3割近い減少を記録した。

付け加えれば、これらの数字の出所は全て新聞協会の調べである。
各地で明らかになっている販売店への押し紙問題について、その存在さえ認めない新聞社が自ら作った業界団体の調べだからその点を織り込んで見る必要もあろう。
実態はもっと酷いかもしれない、ということだ。

が、こういう状況を「傲慢な大メディアの崩壊だ」などと喜ぶのは良くない。
このネット社会にあってなお、時間軸が最も長いメディアである新聞は、良い意味でも悪い意味でも権力に対する監視の機能(「第四の権力」とも言われる)を持ち、発揮している。
それが部数減による広告収入低下で弱まれば、我が国は最も「第四の権力」のあり方に近いメディアを失うことになる。

各紙の報道姿勢にそれぞれ批判があるとはいえ、新聞が我が国の国民の知的レベルを一定以上に保っている重要なインフラだということも忘れてはならない。
欧米など階級・階層化された社会では、富裕層は高級紙を、一般大衆は大衆紙(日本で言えば日刊ゲンダイ並みかそれ以上にレベルが低い)を読む。この区別は極めて明確で、裏返せばそれだけ経済的格差も教育の背景も日本より悪い状況にあるといえる。

ところが日本では、「一般紙」といえば全てグローバルスタンダードで言う「高級紙」だ。
新聞の非購読世帯は3割(首都圏)と言われるが、それでも最低7割の国民が毎日高級紙を読むという状況は全世界で日本をおいて他にありえない。
これには、我が国が江戸時代から世界一識字率が高く(特に男性)一般大衆レベルでの文芸も栄えたという文化的背景もある。

ロンドンなど欧州の主要都市では、日々のニュースについてさえも無料紙・フリーペーパーでのみカバーしようという人々が多くなり、結果として既存の新聞社の経営が非常に厳しくなっているが(それがあの再編の嵐になっている)、先に述べたような背景のある日本ではこういった現象は起こりにくい。

話は少し逸れたが、こうしたことを考えれば新聞の衰退をただ横目に見ているわけにはいかない。
より効率的なメディアのあり方を考えるとともに、有用な情報や社会的機能にはしっかりとした対価を支払うという「社会的常識」を改めて醸成していく必要もある。
そのためには、「情報はタダ」という新常識を作ってしまうような現在の情報接触のあり方が望ましくないことは言うまでもない。

今の大メディアは情けないが、そうであっても彼らが存在するために我々の国民としての自由も担保される。
そう、自由(free)はタダ(free)ではないのだ。

言い換えれば、「タダより高いものはない」。よく言ったものである。 (Y・K)


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